礼拝説教


2019/10/27

「死者の復活はつまずきか」

コリントの信徒への手紙一15:42〜49
牧師 古屋 治雄
−在天会員記念礼拝−

◇主のもとに召された兄弟姉妹を覚えて礼拝を捧げている。召された方々は、地上での生活で神様を求め、イエス様を慕い、罪の許しを願い、家族や知人のためにとりなし、試練の中でも主の助けを乞い、苦しみの時にも主に委ねる祈りを捧げ、みもとに召された。主なる神、キリストはこれらの祈りにすべて応えてくださり、このかたがたをしっかりと受けとめていてくださる。地上に残され悲しみに暮れる私たちにも豊かな慰めを注ぎ、立ち上がりなさい、と呼びかけてくださるのである。

◇コリントの教会の中にも、「人の命は死をもって終止符を打つ。何もかもおしまいだ」と考える者もいた。死を貫く希望があるか疑問を持つ者もいた。死者の復活などないと言う者さえいて、教会内に動揺があった。しかしパウロは力を込めて言う。「死が一人の人によって来たのだから、復活も一人の人によって来る。(15:21)」死と滅びをもたらした最初の人アダムは知っていても、キリストを忘れているコリントの教会に対して、パウロはもう一度、鮮やかにイエス様の復活を伝えなければならなかった。新しく霊によって生きる人(キリスト)が我々の中に備えられていることを是が非でも伝えなければならなかったのである。

◇親しい方の死に接し、言葉を交わすことや、ぬくもりを感じることができなくなり、肉体の滅びを見て悲嘆にくれる私たちにパウロは「自然の(地上の)体ではなく、霊の(天上の)体が与えられる。私たちは天に属する人の似姿とされる。」と語る。イエス様が復活されたという歴史的事実を受け入れる時、土の人(アダム)が霊の人(キリスト)と一つにされるのである。

◇阿佐ヶ谷教会の墓所には「しかし、わたしたちの国籍は天にある。」(フィリピ3:20)と刻まれている。私たちが地上での歩みを終えるとき、永遠の天の国に属する者として間違いなく迎え入れられるとイエス様ははっきりと約束してくださったのだ。私たちは死のむなしさから立ち上がり、与えられた地上での命を生きる者とされている。イエス様の約束を信じてしっかりと歩みたい。

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