礼拝説教


2019/07/21—聖霊降臨節第7主日礼拝—

「決意表明が崩壊するとき」

マルコによる福音書14:27〜31
  牧師 古屋 治雄

◇信仰の土台である聖書の中心は、イエス様が死に向かわれたことである。誰がイエス様を死に追いやったのか。イスカリオテのユダか。イエス様はユダだけでなく、弟子たちが「皆つまずく」と告げられる。ペトロをはじめ弟子たちは「わたしだけはつまずかない」と思っている。確かにイエス様の選びにあずかった時に弟子たちは何もかも捨てて従ってきた。そこにははっきりとした決意があったはずである。しかしその決意が貫けない。ここでイエス様はただ「人間は弱い」と言っておられるのではない。

◇「わたしにつまずく」という言葉でイエス様は弟子たちとの関係を問い直しておられる。かつて弟子たちは「あなたはメシアです」と言い当てた。しかし、イエス様がなぜ死へと向かわれるのかが解っていなかった。人々は皆、この世の苦しみから脱出したいと願い、イエス様の超越的な力に期待していた。またイエス様もその願いに応えてくださり、見捨てられている人たちを神の恵みの座へと招いてくださった。そのことを実現するためにイエス様は死へと向かわれたのである。弟子たちはそれを受け入れられない。ここに地上の人、全員がつまずくのである。人々は神の救いの計画を受け入れることができない。

◇ペトロが三度イエス様を否定(完全な否定を意味)するという予告がされる。ペトロは「たとえ御一緒に死ななければならなくなっても、あなたを知らないなどとは申しません」と反論する。イエス様は言葉を返されない。しかし「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤに行く」という28節の言葉は決定的である。ガリラヤは、弟子たちの命がけの覚悟が崩壊してしまった場所である。しかしイエス様はそこに先んじて待ち構えていてくださる。ボロボロに破れた私をも新たな使命に召してくださる。滅ぶべき私の死を担ってくださる。そのためにイエス様は来てくださった。私たちは感謝してイエス様にすべてを明け渡そう。

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