礼拝説教


2019/06/16

「本当の自分を見いだすところ」

ルカによる福音書19:1〜10
フィリピの信徒への手紙3:7〜9a
—特別伝道礼拝—
  宮城学院学院長 嶋田 順好先生

◇ザアカイは豊かな町エリコの徴税人の頭であった。徴税人とはユダヤの国を支配するローマ帝国の手先となって、同胞から税金を取り立てる者のことである。彼らはローマに納めるべき分に自分の取り分を上乗せして取りたてていた。徴税人は異邦人、罪人と同じ、神の救いからもれた者とみなされ、ユダヤ人社会からはじき出され、さげすまれ、憎まれていた。ザアカイは、税金の取り立てに狂奔するカネの亡者、友を持てない者になっていたのである。彼はイエス様が来られると聴いて興味本位で見たいと思った。しかし背が低かったという理由だけでなく、ユダヤ人たちの敵意が壁のように立ちはだかっていたので、遮られて見ることができなかったのである。

◇ザアカイは、木に登って、ただ見ようとしているだけである。前章の盲人のように「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫ぶことはできなかった。社会からのけものにされている自分にはイエス様を呼びとめる資格などない、と思いこんでいたのである。いや、イエス様に出会いたいという思いや、好奇心の底にある救いへの渇きに、彼自身さえ気づいていなかったのである。

◇イエス様はまっすぐにザアカイの下に来られ、大きく腕を広げて下から抱きかかえるように「ぜひあなたの家に泊らなければならない」と真実の愛の交わりへと招かれた。イエス様をその家に迎え入れ、食卓を囲むことで、ザアカイには断たれていた交わりが回復され、愛が回復され、真の喜びが満たされた。そして彼は今まで唯一の頼りと思っていた財産を放棄することを申し出る。イエス様は「今日、救いがこの家に起こった。」と告げられた。悔い改めることで罪の力から解放されたのである。ザアカイはこの時、本当の自分を見出したのである。

◇今日、この時、私たちにもイエス様の招きが告げられている。だから私たちもザアカイのように罪の力から解き放たれ、イエス様の愛の中で、新しい本当の自分を受け取り直す者になりたい。

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