礼拝説教


2019/06/09

「主イエスは今も精力的に働いておられる」

ヨハネによる福音書16:4b〜15
—ペンテコステ—
  牧師 古屋 治雄

◇イエス様の十字架以前の弟子達に較べ約2ヶ月後のペンテコステ後の弟子達は大きく変わった。弟子達はイエス様が身をもって顕されたことを聞き取りたいと願い、イエス様が約束して下さったとおり、ペンテコステで聖霊が注がれた。この聖霊はヨハネ16章にあるとおり「真理をことごとく悟らせる」ものである。

◇ペンテコステに集まった人達は120人と言われている。イエス様の弟子達は霊の注ぎを受けていろいろな言葉で語り出しとあるが、集まっている人々の母国の言葉で神を賛美し始めたのである。

◇イエス様はユダヤ人やローマの権力によって十字架につけられたが、神の力により復活された。イエス様は死に支配されたままではなかったのである。ペトロはイエス様の復活の証言者として立てられ、ペンテコステで大胆に語った。かつてイエス様を迫害したユダヤの人々はペトロの説教を聞いて悔い改めの心がわき、導かれて三千人が洗礼を受けたとある。弟子達はバラバラにならずにそれまで以上の力を頂き、イエス様のことを伝える証人として立てられた。

◇今日、このペンテコステを我々はどう受け止めるか。阿佐ヶ谷教会は95周年を意義あるものとし、伝道力を復興させることに取り組んでいる。イエス様は十字架の前に弟子達を先んじて励まし勇気づけられた。私は見えなくなるが決して寂しい事ではない。しばらくすると「また見えるようになる」と言われた。これは十字架のあとの復活も意味するが、真理の霊が与えられると言われたのである。聖霊を受けた私たちは弟子達と同じようにイエス様をはっきり見ることが出来る、新しい神の救いの時代に入ったのである。

◇我々は洗礼を通して聖霊を受ける。しかし、神の前に恥ずかしい現実を持っている。教会も誤りを犯すことがある。絶えず神の前に頭を垂れ、神の栄光を顕しているか、悔い改めを告白することにより神の前に立ち帰り新しく生きることができる。そのような希望に立って、ペンテコステ以降の歩みを踏みしめて行きたい。

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