礼拝説教


2019/05/26

「生き生きとした希望」

ペトロの手紙一1:3〜9
  伝道師 上田充香子

◇ペトロは私たち人間の姿をとても表している聖書の登場人物の1人である。イエス・キリストの弟子の1人でありながら、何度もイエス様を悲しませ続ける。イエス・キリストをその目で見、共に過ごしていながら何度も罪を犯す。ここに人間との共通点を見ることが出来る。しかし、そのペトロをイエス様は赦された。

◇そのペトロが記した手紙。本文の始まりは口語訳聖書では「ほめたたえられよ」という高らかな賛美の言葉から始められる。私たちも礼拝において賛美の歌声を合わせるが、心が追いついて来ない時もある。「喜んでいるのです。」と言い切られても受け入れられない時がある。

◇しかし、ペトロはそのことを責めるためにこの手紙を著したわけではない。もう既に与えられている救いの恵みを思い起こさせるためにこの手紙を記した。救いの恵みとは、父なる神様によって計画されたイエス・キリストの十字架と復活によって与えられる新しい命と、生き生きとした希望である。

◇生き生きとした希望は「生きながらえる希望」と言い換えることも出来る。元気に教会に通える時も、神様に向き合うことがやっとのような苦しい時も、与えられる希望である。私たちの生活には今しばらくいろいろな試練がある。イエス・キリストから離れさせようと外からも、また自らの内からもさまざまな角度から試練が訪れる。

◇しかし、私たちは試練の先に罪を赦してくださる方がおられる。イエス・キリストがペトロを復活後、なおも愛されたように、私たちも罪を犯してもなお愛し続けてくださる。そして更に、終わりの時に与えられる朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐものとしてくださった。

◇過去にはイエス・キリストの十字架と復活による新しい命、現在は生き生きとした希望、そして終わりの時には天に蓄えられている尊い財産を守るものとしての役割が与えられる。このことを信じる信仰が与えられている。だから私たちは心からイエス・キリストを、その父である神様をほめたたえることが出来る。心から喜ぶことが出来るのである。

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