礼拝説教


2019/04/21ー復活祭礼拝ー

「死の支配が打ち破られた」

コリントの信徒への手紙一15:12〜10
  牧師 古屋 治雄

◇聖書の各福音書によれば、イースターの日、最初に登場しているのは婦人達である。悲しみをたずさえ、安息日の朝、イエスと共に居たいという思いで墓を訪ねた。そして思いもよらず墓が空になっているという事実をみた。婦人達を通して弟子たちはイエスが甦られたと聞くのであるが、戯言のように思い信じなかった。

◇ここに巨大な壁がある。弟子たちには自分たちの経験、想像力を超えたイエスの甦りを受け入れることが出来なかった。死者をも呼び起こす奇跡を起こしたイエスは、為政者やユダヤの指導者の思惑ではなく、自らの意志で十字架へと進まれ、三度に渡って復活することを告げられたが、弟子たちはそれを思い起こすことが出来ないでいた。

◇12節の中でコリントの信徒の中に復活がないと言っている人があると記されている。これが教会の現状であった。パウロは死者の復活としてイエスの復活は特別なことではなく私たちの復活と結びついていることを伝えている。私たちが死ぬとき、イエスが復活していて下さって、私たち信仰者がイエスに結ばれて復活の希望になっていることをパウロは繰り返し語っている。

◇キリストの復活は歴史の中では小さい出来事として消えてしまうかも知れないが、父が創造し、祝福されたその歴史の中に御子を送られた。その御子の時代が到来し、十字架で私たちの罪を負い三日後に甦られたことは神の救いの歴史であり、歴史を根底から塗り替える出来事である。イエスや使徒を直接知る人々がいなくなった後も消滅するどころか、イエスのことはますます広く宣べ伝えられたのである。

◇先週一人の方が病床洗礼を受けた。決して軽くない病であるが、イエスに望みを託し、イエスに結ばれれば私たちは生きることができ、永遠の命の希望に結ばれるのである。フィリピの信徒への手紙にあるようにキリストの死に結ばれたものは、十字架のみが私たちにあるのではなく、その後に続くイエスの甦りが、私たち一人一人に希望を与える。この希望をしっかり受け止め新しい年度を力強く歩んでいきたい。

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