礼拝説教


2019/3/24ー受難節第3主日礼拝ー

「呼びかける神」

マルコによる福音書12:28〜34
 牧師 古屋 治雄
 

◇ここにひとりの律法学者がいる。彼は神殿であったこれまでのイエス様の論議を見、聞いていたと思われる。そして他の律法学者と一緒にではなく、自分一人でイエス様の前に出て来た。彼は「あらゆる掟のうちでどれが第一でしょうか」とイエス様に質問をした。そしてイエス様は即座に答えた「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』」第一番目の答はユダヤの人々にとって広く親しまれているシェマー(聞け)で、第二番目の答も、レビ記の19章の言葉で聖書の中の戒めを集約するものである。

◇多くの人々が聖書を戒めの書と理解している節があり、ある意味で間違いではない。教会外の人達がそう見ているだけではなくて、私たち自身も、信仰生活に疲れてくると、自分自身が神様から告発されているようにしか思えない事がある。

◇でも今日登場している律法学者は律法の専門家であるが、イエス様との出会いを通して、子供達でさえ知っているあのシェマーをイエス様と共有している。「神は唯一である、他に神はないと仰ったのは本当です」とイエス様が私たちに恵みの言葉として語っていると彼は理解している。

◇神様から愛されている、その事を抜きにして自分を語ることは出来ない。隣人を愛すると自分の中にいろんな葛藤と戦いが生じる。しかし神様に愛されている私はその愛に応答して、神様に感謝の思いをお返ししていく、そしてそのことは私を新しく作り替えて新しい人間関係を作っていくのである。

◇私たちは神様の戒めを神様の恵みの呼びかけとして聞くことが出来る。機会ある毎に聖書の言葉を誤解している人々に私たちも、イエス様がそこを突き破って下さったように、私たちの行いや言葉を通して、ああ聖書の言葉はそういう風に受け止めることができるのだと取り次ぐことが出来ればどんなに幸いなことであろうか。イエス様はそのことを私たちに期待しておられる。

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