礼拝説教


2019/01/06

「祈りの家から新たに出発する」

フマルコによる福音書11:15〜19
 牧師 古屋 治雄

◇クリスマスの喜びの余韻の中、新年を迎えた。イエス様が共におられる恵みのもと、世界の民が新しい希望の中を歩みだす歴史が始まった。その2019年の主の年を私たちは新たに歩みだした。

◇今日の御言葉は、宮清めの出来事である。イエス様は神殿の境内に入り、両替人の台や、鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。エルサレム神殿という、これまで神の民が礼拝を守ってきた場で、大暴れとも言える行動に出られたのである。だが、イエス様は、確信を持って、この行動に出られたのだ。

◇私たちは、新年にあたり、この一年も、礼拝生活を大事にしたいと願う。日曜だけでなく、日常の全てを、神様の御前に生きる者として、神様のことをいつも心に覚えて、信仰生活が日常生活に根付くことを心がけたい。しかし日常化された信仰生活は、神様に向き合う緊張感を失い、形だけのものになる危険性をはらんでもいるのではないだろうか。

◇イエス様がご覧になった神の民は、神様に向き合い、礼拝する緊張感が緩んでいるように映った。彼らは、臨在される神様とどういうつながり方をしていたか、イエス様の目には問題を持つあり方として映った。それは商売になり、あるいは、神様の前を素通りするようなあり方になっていたのだ。

◇神様の御前に祈ることは、私たちの独り言ではない。向こう側に神様がおられるのである。それは電話のようなものかもしれない。私たちと神様の間には、他のものに邪魔されることのないつながりが開けているのだ。神様は私たちに相対して、しっかり向き合い、御言葉に集中して耳を傾けることを求めておられる。

◇新年を迎えた私たちに、イエス様は、宮清めの出来事を通じて、祈りの熱心ということを教えておられる。私たちはこのイエス様のとりなしをいただきつつ祈りの生活に集中して一年を歩みぬいていきたいと願う。

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