礼拝説教

2018/12/23ー降誕祭礼拝ー

「神の御子が訪れてくださった」

ルカによる福音書1:67〜79
 牧師 古屋 治雄
 

◇主イエス・キリストの到来を受け止めるアドヴェントの日々を経て、ついに今日、私たちは降誕祭礼拝を迎えた。

◇今日のザカリアの賛歌は、主がその民を訪れてくださったことを喜ぶ歌である。訪れるという言葉は、神様が顧みて現臨され、贖ってくださったということである。地上の全ての人々の新しい歩みのために、神様が御子を憐れみによって遣わしてくださったのである。

◇ザカリアは確かに、約束どおり、自分たち夫婦に男の子が生まれたことを喜んでいる。しかし、ザカリアの喜びはそれにとどまらない。生まれたヨハネが指し示すお方が来てくださったことを喜んでいるのである。それは、救いの歴史の中で自分たちが用いられた喜びである。

◇ルカ福音書は、この箇所に先立って、マリアのエリサベト訪問を伝えている。マリアは、ザカリア夫婦のもとに三ヶ月滞在したのである。ザカリアは、聖霊の御働きによって神の独り子を授かったマリアへの恵みを聞き、信じたのである。まだ主イエスはお生まれになっていない。しかしザカリアは「ダビデの家から救いの角が起こされる」ことを確信して喜ぶのである。

◇ザカリアは、賛歌の後半部分で、自分の経験を通して、闇と死の不安の中にうずくまる人々に神様が訪れ贖い、自由を与えてくださることを歌う。自分だけが経験した事柄としてではなく、すべての人々を照らす神様の光の訪れを喜び歌っている。

◇当時の人は、神の訪れという言葉で、審きを思い浮かべたことだろう。しかし、クリスマスに起きた神の御子の到来は、喜びの出来事であった。神の憐れみによって、神様の御前に立つことのできない者たちが光の中に招かれるのだ。神様の憐れみの及ばないところはない。ザカリアはそれを確信して歌った。

◇今年のクリスマス、神様の憐れみに与る喜びの内に、新たな歩みにつきたいと願う。

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