礼拝説教

2018/9/30

「風に吹かれて生きる」

エゼキエル書37:1〜10
ヨハネによる福音書3:1〜8
 協力牧師 中野 実
 

◇キリスト者になることは、新しい人になることです。神様との関係で新しくなったのです。イエス様と共に歩む人生へと変えられています。聖霊を注がれた存在なのです。聖霊は最も近くにいてくださる神様です。空気のように、意識していなくても、それなしでは生きていけません。

◇創世記2:7によれば、神様は塵に過ぎないものに命の息を吹き入れ、人は生きるものとなりました。しかし失楽園の物語によれば、本来のあり方は変わってしまいました。死と罪におびえる、死の影の谷を歩む存在になりました。

◇エゼキエルの見た幻によれば、人間は罪と死の脅かしによって乾いた骨になってしまった存在です。しかし、四方から霊が吹き来たり、彼らは生き返ります。新しい可能性が示されました。

◇ヨハネ福音書でもそれが示されました。「水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない(ヨハネ3:5)」。さらに、「風は思いのままに吹く(3:8)」。この風は聖霊です。

◇ボブディランの歌「風に吹かれて」は、人が人として扱われない、戦いの絶えない悲しい現実に対する、嘆きと抵抗の歌です。聖霊の風に吹かれて歩むとき、可能性が与えられるのでしょうか。

◇堀辰雄の小説「風立ちぬ」で、重病を背負った婚約者と歩む主人公が、「風立ちぬ、いざ生きめやも」と言います。風に気づき、立ち上がろうとする姿です。

◇クリスティーナ・ロセッティの「風」という詩が翻訳され、歌となって広まりました。「誰が風を見たでしょう。…」。これはヨハネ福音書3:8の言葉です。わたしたちキリスト者は、聖霊の風を感じ、内側から力を受けて新しくされます。

◇教会は聖霊の風によって誕生しました。わたしたちは、聖霊を注がれ、歩むことがゆるされているのです。

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