礼拝説教

2018/9/16

「家庭を再建する」

マルコによる福音書10:1〜12
 牧師 古屋 治雄
 

◇10章1〜21節は2回目と3回目の受難予告の間にある出来事で、結婚と離婚あるいは家庭生活(1ー12節)、子どものこと(13ー16節)、財産所有と管理(17ー21節)についての日常的な事柄について述べられており、カテキズム的だという見解もある。

◇ファリサイ派は「離婚は律法に適っているか」と問い、イエスを試みた。それに対し、イエスは正面から応じ、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返した。ファリサイ派は「離縁状を書いて離縁することを許し」たと答えたが、その最後の許したとの言葉は申命記にはない。

◇イエス様は間違いを指摘するのではなく、あなたたちの心が頑なだから、モーセはそう書いたのだ。神様の言葉を聞いて誓ったあなたたちの家庭生活はどうなっているのかという意味も含めて反論された。

◇そもそも、私たちはどういう家庭生活に導き入れられているかをイエス様は語られた。天地創造の昔から、神が男と女に作り一体にしてくださったものを人が離してはならない。聖書は私たちを罪に染まったものとするが、立ち直るようイエスは指し示す。

◇結婚は神の恵みが注がれて最大の喜びがあり、これこそ私の骨の骨、肉の肉と言ったアダムの喜びがある。二人を神が祝福していると信じることが大事で、周囲も教会も神の関わる誓約の中にあるのである。神の前に約束するとき、困難に遭った時も神が手を差し伸べて下さるのである。結婚生活は普段と違う生活に入るのではなく、日常生活の中に立ち返らせるイエスの導きと祝福がある。

◇確かにモーセ五書には離婚の記述がある。しかし身勝手な離婚は許されるべきではない。ただ、限界状態にある夫婦にとっては許される余地があると今日我々はイエスの言葉を理解する。

◇イエスは私たちの生活、苦悩を知っていて下さり、家庭生活を神の名の下に再建するために力を注ぎ続けて下さっている。

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