礼拝説教

2018/7/15

「主イエスとはいったい誰か」ー聖霊降臨節第9主日礼拝ー

マルコによる福音書8:27〜30
 牧師 古屋 治雄
 

◇フィリポ・カイサリアは、主の歩みの一番北の地域であり、ここからいよいよエルサレムへの歩みが始められる場所である。またこの8章は、マルコ福音書全体の分岐点と捉えられる箇所でもある。その場面で、主イエスは、これまでにはなかった仕方で、弟子たちに二つの問いを投げかけられた。

◇まず主は「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と問われた。弟子は、人々が、主イエスのことを「エリヤだ」「預言者の一人だ」と言っていると答えた。ローマ支配下のこの時代、人々は、やがて神様が介入してくださるという信仰を持ち、その兆しとして、エリヤの登場を信じていた。主イエスの奇跡と権威ある教えに接した人々は、その兆しを主イエスに見たのである。

◇しかし、人々は、決定的な時代の到来を予感しながらも、その時代はまだ実現していないと受け止めていた。

◇そこで主は「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と更に問われた。ペテロは「あなたはメシアです」と答えた。ペテロは、主イエスを、人々とは決定的に違う仕方で受け止めていた。メシアはこれから来られるのではなく、今ここにおられるお方であるという告白である。主の問いに促されて、ペテロはこの告白をなしたのである。

◇「主イエスとは何者なのか」。聖書全体が私たちに問いかけている。福音書も、書簡も、教会の歴史も、私たちの証も、この問いに促されてきた。

◇この問いに答えることをためらう者に対しても、主は御自ら迫り、私たちを、告白する者へと押し出して下さり、その告白が正しい理解に至るように導いてくださる。十字架にあげられるメシアのお働きを、私たちが受け止められるようにして下さるのである。

◇メシアに出会ったものとして、私たちは、弟子たちと同様に、主がなして下さった救いの出来事を受け止めて歩みたい。

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