礼拝説教

2018/6/17

「見えないものを待ち望む」ー聖霊降臨節第5主日礼拝ー

ローマの信徒への手紙8:18〜25
 伝道師 江原有輝子
 

◇パウロは「現在の苦しみは将来の栄光に比べると取るに足りない」と語る。現在被造物は虚無に服し滅びに支配され、神の子たちの現れるのを切望している。パウロは一人の人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったと言う。アダムの不従順によってこの世は死に支配されたが、キリストの従順によって永遠の命へと導かれる。

◇受洗し聖霊の賜物を受けた私たちは、礼拝を通して御国の一端を垣間見る。礼拝の大きな喜びは天国の前触れにすぎず、今はその時をうめきつつ待ち望んでいる。

◇神様は男と女を作り被造物を支配・管理する責任を負わせられたが、アダムは神様に背き、楽園を追放された。人は自己中心的に生き、預言者の呼びかけにも耳を傾けず、イスラエルは滅んだ。人々が罪に支配され打ちひしがれているところへイエス様が来られ、使徒たちの宣教によりその死と復活を信じる者たちが起こされた。

◇初めの日に神様が神の子に託されたこの世の責任は、終わりの日に神様の御手の中で成就する。私たちには全被造物の救いへの責任があり、この小さな信仰に全世界の救いがかかっている。神様はこのような責任を私たちに託してくださる。

◇私たちは、終わりの日に神の子とされ体が贖われることを待ち望む希望によって救われている。御国の前触れは私たちの希望が虚しくないと保証している。パウロは「見えるものに対する希望は希望では」ないと言い、苦しみの最中で終わりの日の栄光を待ち望み、喜びに満たされる。私たちは、目に見えないものを望むゆえに忍耐して待ち望むのだ。

◇私たちにはキリストに与えられた信仰によって、来るべき時を待ち望みつつ、天を仰いで生きる幸いが与えられている。それは私たち自身のみならず全被造物の救いにつながっている。この幸いと喜びの中に入れてくださる神様に感謝しつつ、今週も歩んで行こう。

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