礼拝説教

2018/6/10

「それでも人生は美しい」-特別伝道礼拝-

ヨハネによる福音書10:11
 東京女子大学特任教授  棚村 惠子先生
 

◇私たちは、年齢、性別にかかわらず、人生の様々な段階で闇に追われ、クロールのように、前に向かって必死に手を伸ばす。しかし、いつ闇に追いつかれるかわからない。(萩原慎一郎氏短歌より)

◇詩編23の詩人は、死や敵に追われて必死で主にすがる。美しい信頼の詩の背景には、詩人の苦しみが垣間見られる。ダビデには彼を妬むサウル王から執拗に追いまわされた過去がある。人間も人生も美しくはない。「それでも美しい」「わたしには何も欠けることがない」との断言は、希望と未来を奪う闇への宣戦布告である。

◇外から人間を襲う闇だけではなく、心の内に住む罪も人生から美しさを奪う。私たちは、パウロが嘆く通り、「望まないことをするみじめな人間」である。

◇創世記は、神によって「きわめてよい」者として創造された人間が、自ら醜い者へと転落する罪の姿を描く。人は神からも隣人からも顔を隠す。しかし、神の御前ではすべての人は裸であって、隠すことはできない。神を畏れないことが罪である。

◇預言者エゼキエルは、神を畏れぬイスラエルの指導者を「悪い羊飼い」になぞらえ厳しく非難した。養わず、守らず、迷わせる指導者によって民は苦しみ王国は滅亡した。預言者は「よい羊飼い」を待望し、詩編の詩人は恵みと慈しみが追う人生を求めて「よい羊飼い」である神に期待する。

◇「よい羊飼い」であるイエス・キリストは羊のために命を棄て、犠牲愛を示された。主は十字架の死に続く復活と昇天によって、闇に勝利された。その主からの聖霊が私たちを今も闇から守り、罪深い「古い人間」を美しい「新しい人間」に変えてくださる。何があったとしてもキリストの恵みと慈しみが追う人生となる。

◇人間の努力で闇に勝つことはできない。しかし、「あなたのために」無条件、無償の恩恵として与えてくださった神の愛を発見し、受け取るとき、闇を振り払い青空へとテイクオフする翼を得る。キリストの恵みのゆえに「それでも人生は美しい」のです。

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