礼拝説教

2018/4/29

「敵を愛せるか」-復活節第5主日礼拝-

マタイ福音書5:38〜48
協力牧師 中野 実
 

◇「平和を実現する(造り出す)人々は幸いである(マタイ5:9)。」その通りです。平和のために敵を滅ぼすことのむなしさは良く知っています。しかしそこから抜け出せないのです。敵を愛することはきれい事でしょうか。

◇詩編109の前半は、復讐を求める言葉で満ちています。神は耳を傾けて下さいます。そして、この心の問題を解決しようと、独り子イエスをお遣わしくださいました。

◇「目には目…」とは、同じ程度の復讐だけが認められるという古くからある賢い律法です。これに対して、「右の頬を…」は、侮辱する相手の立場を、力を使わずに対等の立場にする抵抗の行為です。このような道を切り開くために想像力を働かせる必要があります。

◇「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ…」とは、恐怖と憎しみにとらわれないで、相手をしっかり見させる言葉です。しかし、イエスの御生涯は、結局暴力の犠牲となってしまったのでしょうか。

◇主イエスは、罪と悪の力に飲み込まれたのではなく、逆に、罪と死を飲み込み、それに打ち勝って下さったのです。新しい世界が始まりました。イースターの出来事です。「敵を愛すること」を決してあきらめる必要はありません。

◇アルフォンス・デーケン先生の話です。先生の家庭は反ナチの運動をしていました。ところが、その祖父が、幼かった先生の目の前で連合軍の兵士に射殺されてしまったのです。そして、先生の家にもその敵が踏み込んできました。「あらん限りの努力が必要でしたが、わたしは片手を差し出して、英語で『ようこそ』と話しかけました。」そして、「わたしが真のキリスト者となったのは、あの瞬間だったとさえ言えるかも知れません。」

◇すべての罪と悪の力に勝利された主イエスの命に与っている今、「敵を愛することはできるはずがない」と答える必要はなくなりました。絶望することなく歩み続けることがゆるされているのです。 

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