礼拝説教

2018/4/8

「あなたの重荷を主にゆだねよ」--新年度教会標語による説教--

詩編55:17〜23 マタイ11:25〜30
牧師 古屋 治雄
 

◇これからの一年、いつも「重荷を主にゆだねよ」という御言葉に立ち返りつつ歩みたいと願います。その願いは、決して私たちの一方的な思いではありません。神様が私たちを支えてくださるという確信なのです。この確信に立って歩めることは幸せなことです。

◇「従うものを支える」というのは、私たちが一所懸命に従うということではありません。たどたどしく歩む私たちを主が正しいものとして、とこしえに支えてくださるということです。これは力強い御言葉です。

◇イースターから8日に、戸を閉じて集まっていた弟子たちの真ん中に復活の主イエスが訪れました。恐れ疑う弟子たちを、主が支え平安の中に置いてくださったのです。そむいたはずの弟子たちが神さまによって正しいものとして立たしめられる。復活の主との出会いはそうした出来事だったのです。私たちもこの復活の主に支えられているのです。

◇「重荷」という言葉は、身の回りの困難や心配事も思い起こさせます。けれども詩編55編は、神の民全体が負う「重荷」を問題にしています。私たちも、身近な心配と戦いつつ、尚、目を外に向けてゆく責任と役割を負っているのです。

◇「ゆだねる」という言葉には「投げかける」という意味があります。問題に直面する中で、私たちは重荷にあえぐ自分の全人格を神さまに「投げかける」のです。そして、その時にこそ、私たちは神さまの確かなお支えに気づかされるのです。

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