礼拝説教

2018/2/25

「全員で旅する荒れ野」  -受難節第二主日礼拝-

出エジプト記13:17〜22
牧師 加藤 真衣子

◇モーセの後についてエジプトを出発したイスラエルの民。目的地は約束のふるさとカナン。
彼らには、おびたたしい人数で荒れ野を旅する準備は何一つ整っていない。一刻も早く、安全な場所を通って目的地に到着したいというのが彼らの気持ちだっただろう。しかし神の目的はふるさとに早く到着させることではなかった。導き手である主の恵みと守りを、民に体験させることにあった。そのため神は、近道でなく、あえて遠回りの道を示した。それが最善の道だと神はご存知なのだ。

◇荒れ野を行くモーセは、その手にヨセフの骨を抱えていた。ヨセフは遠い昔、エジプトで亡くなった時、「神はいつか必ず懐かしいふるさとに皆を連れ帰ってくださる。その時にはわたしの骨も一緒に連れていってほしい」と言い残していた。それから実に400年以上の年月を経て、ヨセフの遺骨が、モーセの手によって、今、運ばれていく。エジプトを脱出し、荒れ野に出た人々は、遠い昔のヨセフの夢と希望を忘れずに歩いている。彼らは夢や希望が自分の世代で実現しそうになくとも、自分の子に孫に語り継いでいったに違いない。ここにも「近道」でなく「遠回り」がある。そして、昔生きていたヨセフと、今生きているモーセたちは、一緒に旅をしている。

◇今、わたしたちはレントを過ごしている。主の十字架は、わたしたちの罪と死を滅ぼすためのものだった。復活のいのちを備えられた主はわたしたちの只中にいらっしゃる。だから、亡くなった方は、いなくなったのではない。主に在っては、生きる場所を移されただけなのだ。涙にくれるこの世界は、もう主によって造りかえられた世界だ。

◇雲の柱・火の柱が荒れ野を行くイスラエルの民から離れることはなかった。いにしえのイスラエルを導き、救い出された同じ主が、今わたしたちを導いておられる。この主こそ、私たちを前から後ろから、上から下から、囲んでくださる方。あめつちこぞって、賛美しつつ行こう。

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