礼拝説教

2018/2/18

「遣わされている群れ」  -受難節第一主日礼拝-

マルコ福音書6:6〜13
  牧師 古屋 治雄 

◇教会は皆、伝道することを教会の主より託されています。新しい教会を立てようとする時には具体的な計画案が必要です。中心となる教職や信徒、どの場所を対象にするのか、そして財政的な見通し等しっかり計画しなければなりません。しかし、私たちの伝道はそれらが盤石であれば必ずしっかりした教会が立っていくかというとそうではありません。一人の人が主イエスを信じて新しく生きていくことは、神様の御霊が働いてくださって初めて起こる信仰の出来事です。

◇3章をみると主イエスは12弟子をすでに使徒としてお選びになりました。そしてきょうの6章で二人ずつ組にして新たにお遣わしになりました。その具体的な派遣は「汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように」(7-9節)というのですから今日の私たちからすると理解しがたいものです。

◇主イエスが派遣された弟子たちの伝道活動を受ける側からみると気づかされることがあります。自分たちが日常生活を送っているところに突然一緒に生活している人ではない二人組が来て、神の国が到来していること、神様の恵みが支配している新しい時代が到来していることを聞くのです。そして聞くだけでなく、やって来た二人組によって癒やしの出来事や悪霊が追放されることを目の当たりにするのです。

◇ユダヤの社会は旅人をもてなす習慣が大切にされていました。しかしそうであっても、もしこのような来訪者をすぐに皆が受け入れるようになるとは限りません。不思議な来訪者であり奇異に思う人たちもいたことでしょう。主イエスは、福音を宣べ伝える者に福音の力を授けてくださいました。持ち合わせているものや準備資金を頼りにするのではなく、宣べ伝える者がただこの福音自らの力に信頼するときに、訪れた家の人たちの中に福音が生きて働き、神との新しい関係が始まる奇跡が生まれるのです。
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