礼拝説教

2017/12/31-歳末礼拝-

「終わりの時に」

ヨハネの黙示録21:22〜22:5
  伝道師 江原有輝子 



◇黙示録は終わりの時の姿を示し、ローマ帝国の迫害に苦しむ人々に根源的な希望と慰めを与えた。苦しみの中からヨハネは「私たちの命はこの世で終わるのではない」と語る。キリストと共に苦難を耐え忍んだ人だけが、終わりの時の輝かしい姿を見ることが許される。

◇天使は「わたし」を山の上に連れて行き、花嫁姿のエルサレムが神のもとを離れ天から下ってくるのを見せる。全能者である神、主と小羊が神殿なので都には神殿がなく、あらゆるところで礼拝できるようになる。これはまさに教会のことだ。

◇イザヤ書が「主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆きの日々は終わる」と告げるように、神の栄光と小羊とが都を照らすので太陽も月も不要だ。開いた門を通り諸国の民や地上の王達が栄光と誉れを携えて来る。汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれも都に入れず、小羊の命の書に名前の書いてある者だけが入れる。それは迫害の中で信仰を守った者である。

◇天使は「わたし」に、神と小羊の玉座から流れ出て水晶のように輝く命の水の川を見せる。命の水は都の中央を豊かに流れ、両岸の命の木には毎月命の木の実が実る。終わりの時に人々は楽園で命の木の実を食べ永遠に生きる。

◇そこで私たちは神様の御顔を仰ぎ見る。終わりの時に私たちは神様と顔と顔を合わせてはっきりと見る。その人々の額には、神の名前が記されている。私たちはイエス様のものであり、その額には「イエス・キリスト」と書いてある。

◇現実の世界で僕たちは支配され迫害されているが、新しい都では主を信じる者たちがこの世を永遠に支配する。神の都の命の水のほとりに永遠に生き続けるのなら、この世の一時の迫害や小さな困難がどれほどのものだろう。 ◇新しいエルサレムを示される時、私たちには「見よ、私は世の終わりまであなた方と共にいる」と言われるイエス様のお声がさやかに聞こえる。この1年も主に従ってこられた各々の歩みを心に想い起こしつつ、どんな時にも主の力強い守りと豊かな恵みの裡に過ごせたことを感謝しよう。

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