礼拝説教

2017/12/17ー待降節第3主日礼拝ー

「暗闇を照らし出す命の光」

ヨハネによる福音書1:14〜18
  牧師 古屋 治雄 



◇クリスマスを迎えるこの時期になると町の中に普段見られない光の飾りが設けられ、見る者をなごませます。教会でも玄関前に飾り付けをします。華やかさでは劣りますが、その光の意味ははっきりしています。この光は、クリスマスをとおして神様が私たちに御子イエス・キリストを命の光として与えてくださったことを現しています。

◇ヨハネ福音書は、冒頭部分で簡潔に告げています。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た」と(14節)。「栄光」とは御子の輝きであり、同時に神様の輝きです。聖書の中で神様の栄光が現れた出来事がいくつか伝えられていますが、そこに居合わせた人間は共通して恐れを抱かざるを得ませんでした。モーセも預言者イザヤも、そしてクリスマスの夜、野にいたあの羊飼いたちも一番初めはそうでした。

◇しかし14節後半をみると次のように続いています。「それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」と。御子によって新たに現された栄光は、人が刺し貫かれて死んでしまう光ではなく、私たち人間には受ける資格などない神様からの恵み、恩寵としての輝きであることがまず語られています。続いてこの栄光は、真理と言ってもそれは深淵な思想としての真理ではなく、神様の真実が御子によって光り輝いていることを示しています。ですから私たちはこの栄光に近づくことができ、喜ぶことができるのです。

◇14節前半の御言葉に注目させられます。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」とは、御子イエス・キリストが人となって「われわれの間に幕屋を張っ」(岩波訳)てくださいました。旧約の民がモーセに率いられて荒れ野を約束の地を目指して進んで行ったことを思い起こします。そこでは過酷な荒れ野の生活を余儀なくされ、不信や呟きが噴出しました。主イエスは私たちの実生活にちょっと立ち寄られたのではありません。私たちのすべての生活を見抜いておられ、神の栄光の中に生きる者としてくださいました。

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