礼拝説教

2017/11/5

「家族再生」

マルコによる福音書3:31〜35
  牧師 古屋 治雄 



◇クリスマスの出来事の中に示されたヨセフやマリアの信仰と、公のご生涯に入られた主イエスに対して家族の人々がとった行動はまったく対照的でした。「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た」(3:21)と伝えられているほどです。続く31節以下でも「イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせ」ています。母とは当然マリアということになりますが、主イエスとナザレでの家族の間に両者を隔てる大きな「距離」が生まれてしまっています。クリスマスの出来事以来30年ほどの間に家族生活を続ける中で、この家族に神様の特別な関与が働き続けていることを信じきれなかったことが、ここに示されているように思えるのです。

◇ここに示されている主イエスの家族の行動をとおして、自分の家族生活と信仰生活がどういう関係に結ばれているか、私たちに問われています。クリスチャンホームの人とそうでない人との間に違いがあるかもしれません。しかしその違いを超えて、神さまのみ言葉を本当に大切なものとして最優先して生活しようとしているか、という点では同じです。私たちは自分の人間的な判断から抜け出せず、誘惑に負け自分のあるいは家族のエゴに陥ってしまう者です。信仰生活を送っていても、本当に神様の栄光を現すことに目が向けられていません。主イエスは私たちのこころが正直どこに注がれているかを浮き彫りになさるのです。

◇主イエスは私たちの家族を神の祝福を受け、神の栄光を現すこのできる家族として再生してくださいます。「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(3:35)。主イエスが前にしておられる群衆は決して模範的に「神の御心を行う」信仰の持ち主ではありませんでした。しかしこの時主イエスがお語りになるみ言葉の力によって新しい神の家族として再生されることが呼びかけられています。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com