礼拝説教

2017/8/20

「今は断食の時か、婚礼の宴の時か」
−聖霊降臨節第12主日礼拝−

マルコによる福音書2:18〜22
  牧師 古屋 治雄



◇主イエスが登場された時代、ユダヤの人々が信仰生活で実践すべきことが三つありました。それらは、施し、祈りそして断食でした。本日の聖書箇所ではこの最後の断食のことが話題になっています。18節「そこで、人々はイエスのところに来て言った。『ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか』」。

◇福音書の初めに登場している洗礼者ヨハネは主イエスの公生涯の先駆けとなりました。彼は荒れ野で禁欲的な生活をし、神様の前に自らの生活を悔い改めることを呼びかけていました。それが洗礼運動と一体になってさらにこの活動が断食とも結びついていました。ファリサイ派の人々も自分たちの信仰の熱心さを表明する手段として断食をしていました。毎週二度断食をすると語られている箇所もあります(ルカ18:12)。当時のユダヤ社会にいた一般の人々もこういう伝統の中にあり、その意義を大事なことと受けとめていました。

◇ところが主イエスと弟子たちはそういう伝統を受け継いでいませんでした。主イエスの先ほどの質問への答えに私たちはびっくりします。19節「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない」。主イエスは単純に断食は必要ないと言われたのではありません。断食とは真反対の、当時の社会でも一番のご馳走をいただき喜びの時をもつ婚礼の場面へと話しを転換してしまわれました。

◇主イエスによって大いなる喜びの時が到来している。それゆえ断食などによってこの喜びの時、新しい時代の到来を受けとめることなどまったくできないし、そうする意味がない、と宣言されたのです。

◇「だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない」(21節)ことも、「新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない」(22節)ことも、主イエスがもたらしてくださった神の恵みが新しく私たちを覆い尽くしていることが主イエスによって宣言されたことを示しています。

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