礼拝説教

2017/05/28

「あなたがたは力を受ける」

 使徒言行録1:3〜11
牧師 加藤真衣子



◇生きるための力とは何か。私たちの精神力や忍耐力には限りがある。聖書はその力は上から与えられると告げる。復活の主が天に昇られた後に約束の聖霊が弟子たちに降った。その聖霊が私たちに力を与えてくださるのだ。

◇使徒言行録では主の昇天について、「主が目に見えない存在になる」ことを強調する(使徒1:9)。主が見えない存在になる代わりに与えられるものが聖霊だ。主が十字架にかけられた時一人残らず逃げて行った弟子たちに力を与え、彼らを復活の証人として全世界へと遣わしていくほどに彼らを変えた聖霊。最初の教会がそこに生まれ成長した。私たちはその教会に連なる群れとして、教会の歴史の中を歩んでいる。

◇主は見えない存在となられるが、天に昇られる時、「さようなら」とはおっしゃっていない。「さようなら」は聖書にはない。死は終わりではないのだ。主の昇天から主と弟子たちとの関係は新しく始まった。

◇主はこの世のもっとも低きにまで降られた。そしてこの世の低きに置かれている者と共に歩んでくださった。その主を、神は高くあげられた。私たちは高くあげられた主と、結びつけられている。主が苦難から栄光へ、十字架から復活へと歩まれたように、主と結びつけられている私たちも、苦難から栄光へ、死から復活へとの道行きを、約束されている。地上の道を困難があっても信仰をもって歩み抜く。それは高みに至る道なのだ。この世の旅路では大事な人が天へ帰るけれども、天国での再会は主に在って保証されている。

◇主の昇天と再臨の間を、私たちは歩む。聖霊の働きを受けつつ歩む。そして主がふたたび来られるときには、皆が笑顔で、主に在る拍手喝采のカーテンコールを迎える。主の昇天は、その日を保証してくださっている。この世界に教会を誕生せしめた聖霊なる神の愛と情熱を受け立ち上がっていった弟子たちのごとく、私たちも聖霊において燃やされて歩みゆこう。
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