礼拝説教

2017/05/21

「誘 惑」

マルコによる福音書1:9〜13
主任牧師 古屋 治雄



◇1章9節から主イエスのお働きが始まりました。主イエスが「神の子」として「キリスト」として、新しく神様の恵みの出来事を伝える福音の第一歩としてなさったことは洗礼者ヨハネから洗礼を受られたことでした。マタイ福音書を読むとヨハネが主イエスに思いとどまらせようとしたと伝えられています。どうして神の子が悔い改めの洗礼を受ける必要があったのか。ヨハネと同様に私たちにも疑問が湧いてきます。

◇しかし主イエスは欠くことのできない行動としてこのヨハネから悔い改めの洗礼を受けられました。それは、悔い改めを必要としている私たちと同じところに御自身の身を置いてくださり、神の前に正しく歩むことができず神に裁かれる者となってくださった出来事に他なりません。

◇つづく10-11節をみると、この洗礼を受けられた直後に主イエスが神の子として父なる神様の信任をうけたことが伝えられています。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と。マルコ福音書では主イエスが「神の子」であることがはっきりするのは十字架の死の場面です(ローマの百人隊長の告白15:39)。しかし主イエスはその公の御生涯の初めから、私たちの罪の姿を身に負われたゆえに神の子として歩まれたことが示されています。

◇主イエスがさらに神の子として活動を開始されたことが12-13節につづいています。本来罪人である私たち人間が受けなければならない悔い改めの洗礼を主イエスが受けられたことは、主イエスが父なる神様の御心である“霊”によって荒れ野でサタンの試みを受けなければならなかったことへと(必然的に)結びついています。マタイ福音書、ルカ福音書はその誘惑の内容が細かく紹介されていますが、このマルコには詳細は伝えられていません。その替わり「その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」ことがマルコだけ報告されています。主イエスは、神の子として活動を開始されたその時からサタンの支配ではなく、御子によってでなければ顕すことのできない神様の終末的な平和をこの地上に実現してくださ! いました。
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