礼拝説教

2017/04/16 −復活祭礼拝−

「赦し、遣わす復活の主キリスト」

ヨハネによる福音書20:19〜23
主任牧師 古屋 治雄



◇今朝はCSの皆さんと共に東京女子大の庭に集まって、イースターをお祝いし、喜びの礼拝をお捧げしてきました。

◇弟子たちはこの日朝早く、マグダラのマリアから復活された主を見たとの知らせを聞きました。しかし、すぐその事実を理解することができませんでした(20:9)。そして「その日、すなわち週の初めの日の夕方」になっても、「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけてい」(19節)ました。

◇主イエスが人間のあらゆる苦悩や矛盾を背負ってくださって十字架に向かい、そして死んでくださった十字架の出来事に、多くの人が(信仰でなくても)好意的に関心を寄せています。しかし主イエスが復活された出来事はそのようには受けとめられていません。主が甦られたことを人間の知恵、知識そして理解力によってはどうしても受け入れることができないのです。

◇この日の夕方になっても弟子たちは、なお恐れのために身を潜めていました。「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」(11:16)とまで豪語して主イエスに忠誠を誓っていた弟子たちですが、ユダヤ当局によって主イエスと同じように逮捕され、処刑されるのではないかとの不安におののいていました。また加えて、弟子たちの心の中には主が甦られたことを聞きユダヤ人を恐れるだけでなく、主御自身から弟子としての責任を糾弾され裁かれるのではないかと恐れていたかもしれません。

◇そのような弟子たちに、「イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われ」(19節)ました。イースターの出来事は、主御自身が復活されて、十字架の死へと追いやった地上のすべての者に、神の平和を与えてくださった出来事です。主は繰り返し言われました「あなたがたに平和があるように」(21節)と。弟子たちはこの時点に至り初めて一切の恐れが払拭され、大いなる喜びに包まれました。そして復活の主はこの弟子たちを新しい使命に派遣するため聖霊の息吹を吹きかけてくださいました。私たちもすでに罪赦された者として、この福音を宣べ伝える者とされています。

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