礼拝説教

2017/04/02

「主は世界に光の道を示された」- 新年度教会標語による説教 -

イザヤ書2:1〜5、ヨハネによる福音書1:14
主任牧師 古屋 治雄



◇私たちは「主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう。」(イザヤ2:3)との御言葉を年度標語として掲げ新しい歩みを始めました。阿佐ヶ谷教会では毎年度活動目標を決める際には教会員皆の意思が寄せられ、またその主旨を覚えて讃美歌が創られます。今日の礼拝でその賛美が直前で歌われました。

◇この標語は私たちが熟慮して考え出した言葉ではなく、旧約の民に向って預言者イザヤが語った言葉であり、そこには実際の歴史があることを想起させられます。標語の言葉が真ん中に位置づけられている2章1−5節の御言葉は「終末の平和」とタイトルが付けられています。ここには、神の民の中心であるシオンに諸国の民が集まって神様の御言葉を聞き、地上から争いが止み神による平和が世界全体を包む、という壮大な光景が示されています。そしてこの預言の言葉を聞く私たちは皆心に平和を与えられ、心地よい思いに満たされます。

◇しかしこの箇所の前後をみると、「あなたは御自分の民、ヤコブの家を捨てられた」(6節)と語られています。1−5節とは対照的にここにはシオンとヤコブの家に対する厳しい神の審判が伝えられています。当時のユダ王国は、アッシリアの脅威に襲われて「王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺し」(イザヤ7:2)、不安の中から目先の人間的な判断によってことを決し、主なる神様に道を尋ね求めることをしなかったのです。

◇イザヤはユダ王国の人々が厳しい裁きに直面していることを直視する洞察を与えられました。そしてその裁きをとおして神様が最終的な御支配の力を発揮してくださり、これによって世界は神の義と平和によって統治されることを確信したのです。これは驚くべき確信です。

◇(自分の期待する道ではなく)「主が示してくださる道」を求めようとする時、絶えず信仰の闘いがそこにうまれます。しかし主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われ、十字架への道を歩んでくださいました。レントの今、主御自身が私たちを伴って救いにつながる道を歩んでくださっています。

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