礼拝説教

2016/11/27 -待降節第1日主日礼拝-

「平和の君」

イザヤ書2:1〜5
牧師 大宮 溥



◇待降節(アドヴェント)に入った。「キリストの来臨」を仰ぐ時である。(1)過去を振り返り、神の子の受肉の恵みを思う。(2)将来を望み再臨を待つ。(3)今も生ける主を仰ぎ迎える。今は「眠りから覚めるべき時」(ローマ13:11)である。

◇預言者イザヤは歴史を神の救済計画の展開として語った。ウジヤ王の没年(前742年)に召命を受け、聖なる神の現臨に恐怖したが、贖罪の火に清められて、預言者として出発した。

◇イザヤ書は世界大国の攻撃を受けて荒廃した祖国の民に、天と地を陪審官として呼び出し、彼らの罪に対する神の審判を告げ(1:2〜9)、外面的な祭儀でなく、敬神愛人の国づくりを求めた。ユダ王国の苦難は、神の審判であるとともに、民を清める訓練でもあった(18節)。

◇それ故、ユダヤは「残りの民」が神によって守られ、「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち」(11:1)新しい世界が打ち立てられると予言した(2:2〜5)。キリスト教会は、イエス・キリストの誕生が、この「平和の君」の預言の成就と理解した。キリストはローマに逆らう国事犯として十字架刑に処せられたが、主はその死によって、万人の罪と裁きをご自分の身に引き受け、われわれを神と和解させ、「神の国の民」とされた。

◇第2次大戦後、上野の森に浮浪者があふれていたとき、「アリの街のマリア」がそこに住んで奉仕した。この人の所属した「メルセス修道会」は、十字軍の兵士が捕虜となり東方で奴隷にされているのを、自分が身代わりになって、郷里に帰そうとする運動に始まった。「メルセス」はスペイン語で「憐み」であり、キリストの身代わりの愛を表している。

◇クリスマスは、このような「平和の君」イエスが我々の内に新たに宿られる時である。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。…その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」(9:5)。今年の降誕祭まで、日々に主を迎えよう。

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