礼拝説教

2016/11/20 -降誕祭前第7主日礼拝-

「預言の実現」

ミカ2:12〜13、ローマ12:12
牧師 大宮 溥



◇クリスマスは「預言の成就」の時である。イスラエル宗教の特徴は預言者の存在である。どの宗教にも「祭司」は存在し、人間を神に導くが、「預言者」は神に召され、神の言葉を人に告げる。ミカはイザヤの後輩で、紀元7世紀の終わりごろ、ユダの小さな村モレシテの農夫であった。アッシリヤがユダヤを襲い、北王国を滅ぼしたころ、ミカはそれを為政者が私腹を肥やし民を放棄した無責任に対する、神の裁きとして語った(3:11〜2)。そして悔い改めて神に帰るために、賑々しい宗教儀礼ではなく、「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと」(6:8)であると説いた。

◇ミカは更に、国が滅びた荒れ野のような状態に、良き羊飼いが現れ、正義と平和の世界を復興するとの約束を語った。それは、終末的な神の支配の預言でもあった。キリスト教会はこれをイエス・キリストの誕生によって実現した福音と受け止めた。第二次大戦直後、戦時中弾圧を受けたキリスト者たちが、イザヤ書やミカ書によって、傲慢であった日本への神の審判を告げ、平和の君、歴史の主による再生を語ったとき、日本は「一億総ざんげ」して再出発した。

◇今日、ミカの預言の「審判」と「回復」のどちらが響いているだろうか。「審判」の方ではないか。世界の国々が孤立化し、国の内外で対立、戦争、テロが起こっている。地球資源の涸渇化。温暖化による生活環境の劣悪化。ミカが神の審判として描き出した破壊の状態である。これに対して、悔い改め、「正義と慈しみと、へりくだって神と共に歩む」ことが求められる。人間と自然とに対して、共に生きる、愛の共同性、神の国への歩みを築くことである。

◇これは厳しい道であるが、ミカは「わたしは、主を仰ぎ、わが救いの神を待つ」(7:7)と、あえて踏み出すのである。阿佐ヶ谷教会の今年度教会標語も、この祈りと決意を表明している。降誕前節の「インマヌエル」(神は我々と共にいます)の思いをもってこの道を歩みたい。

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