礼拝説教

2016/11/13 -降誕祭前第6主日礼拝-

「主イエス、洗礼を受ける」

マタイによる福音書3:13〜17
伝道師 江原有輝子



◇洗礼者ヨハネは「悔い改めよ、天の国は近づいた」と叫び、人々は罪を告白して洗礼を受けた。ヘブライ語の「悔い改める」は「立ち帰る」を意味する。私たちは神に造られたのに神から離れて生きようとする。神から離れる歩みを止めて神に立ち帰るのが「悔い改め」である。間違った方向に進んでいたのを神へと向き直るのを回心と言う。悔い改めとは回心である。

◇神の子の洗礼は、主が人間が通るべき全ての道を通られたことを示す。主イエスは赤ん坊として生まれ、人々を憐れんで涙を流し、時に激しく怒り、受難を前に苦しみつつ祈られ、十字架上で肉体と精神の苦しみを味わい尽くして死なれた。まことに主の辿られなかった道は一つもない。私たちはキリストの歩まれた道を踏み、キリストに倣って歩むように導かれている。だから主は先立って洗礼を受けられたのである。

◇主はヨルダン川で受洗された。新共同訳聖書は「洗礼」に「バプテスマ」のふりがながある。バプテスマはギリシア語の「バプティゾー」、「浸す・沈める」から来ている。バプテスト派の教会では全身を水に浸す「浸礼」を行う。受洗者と共に牧師が水に入り、受洗者を水の中に沈めた後助け起こす。人は水に沈んで罪に死ぬ。起き上がる、つまり復活したとき水から出て大きな息をするのが、キリストによる新しい命を生きるキリスト者としての最初の息である。

◇主が水から上がられると天が開き、神の霊が主の上に降り、天から「これはわたしの愛する子、私の心に適う者」という声が聞こえた。主が受洗して公生涯を始められたのは預言の成就であり、天からの声がそれを証明する。

◇私たちはこの方が主であると告白し洗礼を受けた。主に結ばれて生きる人生は日々洗礼を生き直す人生である。受洗者を喜ぶのは、天の国が喜びに満ちるからであり、主が私たちに為されたことを思い起こすからだ。主イエスは罪人と同様に水に入られたことによって、私に従う者になれと一人一人に呼びかけておられる。

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