礼拝説教

2016/11/6 -降誕祭前第7主日礼拝-

「神の民の選び」

創世記12:1〜9
牧師 大宮  溥



◇教会暦は「降誕前節」から始まるが、これは救済史が創造から終末に至る神の導きの歴史であることを示すために、救い主の降誕前の旧約に目をとめるためである。世界を創造された神は、「神の国」を目標とされたが、人間の始祖の堕罪によって、人類は全地に流浪散乱した。神はそこから一つの民を選び、これを先頭に立てて、全人類を神の民として導こうとされた。この選民の最前列に召し出されたのがアブラハムである。

◇アブラハムは生ける神との出会いを経験し、自分が主体となって歩んでいるのでなく、神が与え導かれる人生であることを知った。人生は神の召命と派遣の道である。福音主義教会では信徒全体がこの召命を受けていると理解し、特に職業を通して神の国の自分の部署を担おうとする。その先頭に立つのがアブラハムである。

◇彼は「地上の士族はすべてあなたによって祝福に入る」と約束された。しかし、それは直線的発展でなく、キリストの十字架においては義人は彼ひとりに収斂した。しかし主イエスの贖罪によって全人類に救いが拡大したのである。教会が証と奉仕と交わりを広めることによって世界が「神の国」として前進するのである。

◇神の国への巡礼の旅に召し出されたアブラハムは、これに従って旅立つ。その旅に神は同伴してくださり、宿る場所に現臨された。「アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた」。神の民の人生は礼拝に始まり礼拝に終わる旅である。族長のイサクも孤独な旅で、一夜石を枕に野宿したが、夢でそこに天からの階段が下り、神の声を聞いた。そこは「神の家」「天の門」であった(創世記28:17)。

◇礼拝に集うとき、われわれは主を中心に内向きの輪となり、恵みを共有する。礼拝をおえて会堂の外へ出るとき、われわれは外向きの輪となって世に出てゆき、置かれたところを「神の国」の一部署として愛の共同体を築いてゆく。礼拝から礼拝への旅である。

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