礼拝説教

2016/10/16-全家族礼拝-

「多くの神の子つどいて」

マタイ福音書:19:13〜15
牧師 加藤真衣子



◇どんなに便利な道具でも、かなえられないことがある。それは罪びとが神の子どもになることだ。

◇主がエルサレムへ向かう旅の途中、たくさんの人たちが祝福してもらおうと、子どもたちを連れてきた。弟子たちはこの人たちを叱った。 「ダメダメ!イエス先生は長い旅の途中なんだよ。道草している場合じゃないよ!」「そんなに簡単に神の子にはなれないよ。壁を突破しないとね!」。けれども主は、「わたしはこの子たちのために祈ってあげたい」とおっしゃり、一人ひとりの頭に手を置いて祝福された。

◇神の子どもになるための壁は、人間の側にある。私たちの方が神から離れてしまっている。しかし神と人との間の壁は、神の側から、つまり主が十字架でわたしたちの罪を滅ぼしてくださることにより、壊された。主の十字架の愛を嬉しい!ありがとうございます!と受けいれる人は皆、神の子どもとされるのだ。

◇主は「心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。(マタイ18:3)」とおっしゃった。「心を入れ替え」る、それは「新しく生まれかわる」こと。聖書には、見た目は変わらなくても本質的に神によって生まれかわった人が何人もいる。ニコデモ、ザアカイ、バルティマイ、ペテロ、パウロ・・これらの人たちは、主によって造りかえられた。主が世に来られたのは、わたしたち皆が造りかえられ、「おさなごの自由をもういちど、神の前に取り戻すため」なのだ。

◇両親の手に抱かれることをやめても、神の手に抱かれて、私たちが生き続けるために。もう大人になってしまった人たちを、神の前におさなごにするために、主は生きておられる。今、わたしたちが生きている日々は、神が与えたもう日々だと、おさなごのように受け止めてよいのだ。主は今日も私たちに手を置いてくださる。

◇神よ、おさなごのような信仰を、わたしたちに与えてください。
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