礼拝説教

2016/10/9-神学校日礼拝-

「宝をもたらす塵」

コリントの信徒への手紙二4:1〜10
東京神学大学教授 W.ジャンセン先生



◇キリストの羊である私たちが命を受けるためキリストは死なれた。私たちの存在は空しくない。神は大切な仕事のために私たちのようなものを遣わして下さり、私たちは、周りの人に真理、命、希望を運ぶ器となれる。なぜ神は大切なメッセージのために私たちを用いられるのか。

◇パウロはキリスト者を土の器に譬えている。器は自らの中に福音を持っている。福音とは闇から輝き出る光のことであり、神の最も大切な宝である。パウロは、キリスト者は自分より大切なイエス・キリストを語ると言う。証は、自分の人生に神の計画があったことを語る。説教者は自分の姿を隠して神の言葉を語る。証と説教は違うが、両者とも大切なテーマは宝を持つ土の器である。土の器の中にある宝を見せて福音を語るのがキリスト者で、彼らには福音を語る責任がある。

◇私たちが高価な宝石を堅固な容器に入れると人に見せることができない。赦された罪人なのに罪を犯し続ける、こわれそうな私たちが主の福音を語るために選ばれている。

◇ルカ福音書のファリサイ派の人と徴税人の譬えで、前者は自分が悪人ではないことを神に感謝し、自分には救いが与えられると思っている。自分の中に不動のものがあると信じ、鎧で固められたしっかり閉まった金庫のような人で、神の福音が入れない。後者は目も上げないで胸を打ち、心を裸にして祈った。彼は柔らかくふたの開いた容れもののようで、神の福音が届く。徴税人は罪の告白ができたので義とされ、ファイサイ派の人の祈りは善行の報告となり、神のコミュニティーから自らを切り離していた。神は悔い改める心に福音を入れてくださる。

◇私たちは常に徴税人のように神の前に現れるべきだ。もろい器である我々は神の愛により福音を人にもたらし得る。傷つき、壊れそうに見えても、永遠の命を受けた者から神の福音が伝えられる。神からいただいた宝を土の器に盛り、それを救いを知らない人に届けることができる。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com