礼拝説教

2016/10/2—世界聖餐日・世界宣教の日—

「キリストにある生」

ヨハネによる福音書11:28〜44
牧師 大宮  溥



◇「世界聖餐日」は、全世界の教会が一斉に聖餐をとりおこない、教会が一人の主の一つの教会であることを自覚して、世界宣教に向かう日である。(「世界宣教の日」)。今日われわれは「ラザロの復活」物語を与えられ、「復活であり、命である」イエスを仰ぐ。

◇高齢化社会で、友の死が多くなり、自分の人生をも振り返る。高齢の自分は、外国旅行への飛行機を待って待合室にいる乗客である。人生の初めに神に送り出されて地上に降り立ち、やがて天に帰る。主イエスは地上を旅する人間のパートナーとなられた神である。われわれは彼によって、死に勝つ生を与えられている。

◇ラザロの死後4日目に主イエスはベタニヤに来られた。常識的には手遅れである。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」。イエスは、その不信仰を「憤られた」。これは人間を死に飲み込む闇の力に強い怒りを向けられたとも、マルタたちの不信仰に怒られたとも解釈される。それと同時に彼らの悲しみに共感して「イエスは涙を流された」。そしてラザロの墓についたイエスは天を仰いで祈りをささげ、天からの力を籠めてラザロを呼び出し、彼を命へと呼び出された。

◇ここには「現在的な終末論」が展開している。「死者の復活」は将来の主の再臨の時に起こるとされていたのが、霊なる主の臨在の下で今実現するのである。

◇キリストは十字架の贖罪と復活の生命の賦与によって、すでに神の国の基礎を据えたが、完成はまだである。しかし、天にいます主イエスは聖霊を地上に送り霊の主がわれわれの内に宿っておられる。このキリストの現臨と支配によって、神の国は今実現し、死に勝つ命が与えられる。ゴッホは「ラザロの復活」の素描において、墓穴で目覚めたラザロを入り口で照らすキリストを太陽として描いた。この太陽が今もここでわれわれを照らしている。聖餐はこの主の現臨である。

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