礼拝説教

2016/9/18

「我に来たりて飲め」

ヨハネによる福音書7:37〜39
福岡中部教会牧師 古屋 治雄先生



◇神様は、私たちの日常の時の中に介入して特別な時を創り出し、私たちを招いて下さる。

◇仮庵祭は収穫感謝の祭りで水に関係する。その祭りでは、神様が奇跡によって食べ物と水を与えられた出エジプト後の荒野での恵みを思い起こすために、人々は仮小屋を建て、シロアムの池から水を汲んで祝った。

◇仮庵祭の終わりの日に主イエスは立ち上がって大声で、仮庵祭と結びつく水についてそれまで誰も言えなかった新しいことを言われた。ご自分を前面に出されて、神から離れている人に神の命に生きることがどれほど喜びであり感謝すべきことかを「わたしに来て飲みなさい」と、招いて下さった。私たちは自分の疲れが魂の渇き、さらには神様から離れていることによるものだと気付けない。

◇多くの民は主イエスの数々の奇跡を見て、メシアの期待をもった。しかし、人々の期待するメシアの働きと主ご自身の望まれることの間に隙間がある。エルサレムの人々の中には反感や殺意が渦巻いており、主の慰めに満ちたこの招きは実はそのような中での招きであった。

◇主イエスによる潤いは渇きが癒されるだけでは終わらない。驚くべきことにその人から水が流れ出る。ヨハネ福音書4章で、主はサマリアの女性に、主の新しい水によって生きられると語られた。人目を避けていたこの女性は主に出会い一番大切なことを知らされて自由になり、自分から町の人々の所へ走った。

◇私たちも主イエスからの命の水に与ることによってこの女性のように変えられる。主は渇きに気付けない人々に豊かな招きを呼びかけて下さり、私たちは神をまだ知らない人々ともそれを共に分かち合う生き方へと変えられていく。

◇十字架の主イエスが槍で刺された時「血と水が流れ出た」。主イエスは十字架の死によって私たちを招き、豊かな命の水である聖霊に与らせて下さる。私たちもこの聖霊を受けて共に生きる人々にこの喜びを伝える者とされている。
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