礼拝説教

2016/9/4

「良き羊飼いイエス」 

ヨハネによる福音書10:7〜18
-振起日礼拝- 牧師 大宮  溥



◇振起日を迎え、われわれは「良き羊飼い」であるキリストに呼び出された羊の群れとして礼拝に集うた。これは神と神の民との譬えとして用いられ、また国の指導者と民との譬えとしても用いられた。エゼキエル書34章では、バビロン捕囚を、悪しき牧者であるユダの指導者に対する神の審判であり、離散した群れを救うために、神ご自身が牧者として立ち上がれると予言されている。主イエスは、ユダヤの群衆が飼い主のいない羊のようであるのを憐れまれたが、十字架と復活によって世界の民を救い導く「良き羊飼い」となられた。

◇ヨハネ福音書10章で、主イエスは「羊の門」また「羊飼い」と言われている。「門」は主がわれわれを御父へと連れてゆかれることを示している。宗教は人間の教祖が神と人とを結び合わせる道と言われるが、人間が神に達する保証はない。しかし、主イエスは神が人となったお方として、われわれを必ず御父へと導かれる。

◇この神との交わりに、人間一人一人を洩れずに加え、導く姿を示すのが「良い羊飼い」である。夏目漱石の『門』の主人公は、自分の過去の罪を突き付けられた時、それを自分で償い、解決しなければ、心の平安が得られないので、「門の前に立ち続けて人生の夕暮れを待つ」他なかったが、主イエスは罪を犯した人間と一体になり、その身代わりとなって、救われる。「わたしは自分の羊を知っており、羊も私を知っている」。「知る」とは深い愛の交わりである。

◇「わたしには、この囲いに入っていない他の羊もいる。その羊をも導かなければならない。羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」主イエスは復活されたのち、弟子たちに聖霊が注がれ「地の果てに至るまで、わたしの証人になる」と語られ、世界宣教が開始された。日本はユダヤから見るとまさしく「地の果て」である。この国におけるキリスト者は少数であるが、主はその一人一人を通して人格的な愛の共同体へと人々を招いておられる。

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