礼拝説教

2016/8/28

「主の救いを見よ」 

出エジプト記14:5〜31
伝道師 江原有輝子



◇エジプトで奴隷となったイスラエル人の助けを求める叫び声は神に届き、神の救いの物語が始まる。神はモーセとアロンを送り出されたが王はかたくなで、ついに主の過越が来て、全エジプト人の初子が死に、イスラエル人はエジプトを去る。

◇ファラオは大軍勢で後を追い、イスラエル人は恐れて主に向かって叫び、エジプトにいたほうがよかったとモーセに言う。これは奴隷の言葉だ。私たちはまだ知らない自由よりも自分たちのなじみの奴隷状態を好むのだろうか。

◇出エジプト記のファラオの「かたくな」な心と主の「力強い」御手は同じ言葉であり、ファラオのかたくなな心と主の力強い御手の戦いと主の御手の勝利を記す。主がファラオをかたくなにしたのは、主が王の軍隊を破って栄光を現すとき、エジプト人が、この方が主であると知るようになるためだった。

◇主は創造の御業を人々の面前で再現され、海を分けて乾いた地を現わし、奴隷のイスラエルを解放された人間へと新しく創造された。

◇海を渡る物語は、混乱と神の秩序の戦いである。人々はエジプト軍を見て混乱に陥るが、モーセは今日主の救いが与えられるから静かにせよと告げる。神の秩序が海を分け、人々は乾いた地を進んで海を渡る。それは信仰の行為である。

◇主がイスラエルのためにエジプトと戦われ、夜の大混乱は終わり、朝になると全てが終わり静かになった。新しい朝が来たときイスラエルの新しい歴史が始まった。

◇阿佐ヶ谷教会は主任牧師不在を経験したが、神はいつも私たちと共におられる。主は、痛みを通して、私たちを導く方がどなたであるかをはっきりと示してくださる。主は、私たちの嘆きを聞き届け、私たちを痛みの中から救い出し、主の救いを私たちに見せてくださる。 ◇共に主の救いを見、主が私たちに行なわれた大いなる御業を見よう。主を畏れ、主を信じて歩もう。
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