礼拝説教

2016/8/21ー聖霊降臨節第15主日礼拝ー

「世の光イエス」

ヨハネによる福音書8:12〜20
牧師 大宮 溥



◇リオ・デジャネイロの山上に大きなイエス・キリストの立像がある。今朝の御言葉で生けるキリストは「わたしは世の光である」と告げておられる。

◇「世界の光」と言われるとき、まず思い浮かぶのは、天地創造において神が「光あれ」と言われると輝き出た光である。これは神のエネルギーが世界の要素となり、世界を創造し、神と世界を結び合わせたのである。(1:1の「言」としてのイエス・キリスト)。

◇この「世の光」が神の民の歴史を導くものとして示されているのが、出エジプトの際の「火の柱」である。「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた」(出エジプト13:21)。

◇主イエスはこのような「世の光」として、神の命と愛がこの世に流れ入り、闇と死の世界を照らすのである。ここに啓示者としてのイエス・キリストが示されている。

◇このような主イエスの自己証言を、ファリサイ派の人々は単独自己の証言として否定した。しかし主は、天から地上に来た者は自分だけであることと、自分の証言の背後に父なる神の証言があるゆえに、有効であると語られた。神の愛が地上に愛の共同体を造るのである。

◇人間が「世の光」であるキリストと出会うとき、われわれは「光の子」とされる(エフェソ書5:8)。そして「実を結ばない暗闇の業」から引き出され、神の国の民として、神の国の建設のために働く。日常生活を、神を賛美し隣人に仕える、礼拝としての生活として築き上げる。「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌う」 (同5:18〜20)のである。

◇主日の礼拝で主イエスを囲む内向きの輪となったわれわれは、礼拝後この世に向かって出てゆく外向きの輪となり、社会に出て行って、置かれた場所を神の国の自分の部署として輝く。

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