礼拝説教

2016/8/7ー平和聖日礼拝ー

「キリストはわたしたちの平和」

マタイ福音書5:43〜48、エフェソの信徒への手紙2:11〜22
牧師 大宮 溥



◇主イエスはその宣教を「神の国は近づいた」との宣言で始められた。天地創造による世界の歴史の開始は神の国を目標としたが、人間の傲慢から堕落の道に転落した。しかし主イエスが地上に来られた時「サタンが稲妻のように天から落ち」、主はこれを地上でも撃退して、「神の国」の基礎を打ち立てられた。

◇「山上の説教」は神の国の生活原理である。その頂点は「敵を愛せよ」の教えである。主イエスは敬神愛人を第一の掟として示されたが、隣人愛(レビ記19:18)について、「隣人」の定義で、それを同朋のユダヤ人と解し、「敵を憎め」がくわわった。これに対して主イエスは、天の父なる神は万人に差別なく「太陽を昇らせ、雨を降らせてくださる」愛の神であるがゆえに、敵をも愛せよと教えられたのである。

◇愛敵を主イエスは教えられただけでなく、生涯を通じて実践され、特に最後の十字架の死によって貫かれた。それによってわれわれ人間は罪を赦され、神との和解が与えられた(?コリント5:18)。初代のキリスト者たちは、軍務を拒否し、平和を築いた。

◇使徒パウロは「実に、キリストはわたしたちの平和であります」と記した。キリスト以前の世界は、神の民のユダヤ人とその外の異邦人との間に「敵意という隔ての壁」があった。しかし主は「双方を一人の新しい人間に造り上げて平和を実現し、両者を一つの体として神と和解させて平和を実現」した。

◇これは差し当たり「キリストの体」としての教会において実現しているが、教会は「形成途上の神の国」(フォーサイス)であり、愛敵のキリストの聖愛が全人類の中を流れて、国や民族間の「敵意」を砕き、平和へと促すのである。

◇『天路歴程』のクリスチャンが伝道者の家で水を注がれながら消えない灯火を見、その上から隠れた人による油の注入を示された。「われわれの平和」であるキリストが、われわれの内に注いでくださる聖霊の炎である。

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