礼拝説教

2016/6/26

「命へと行進する私たち」

ルカによる福音書7:11〜17
協力牧師 中野 実



◇イエスとその一行は、ナインという町に入ろうとしていた。偶然通りかかっただけのようだが、神の御心によって彼らはこの町に入った。死へ向かって行進を続けているような人々の一行と出会い、彼らの行進を永遠の命へ向かう行進に創り変えるためである。

◇イエスの出会った一行は、やもめであった母親の一人息子の死をとむらう人々であった。そんな母親に主イエスは目を留められる。求める力すら失っている母親に、主イエスは一方的に目を向け、深く憐れまれる。「もう泣かなくてもよい」。そして棺に手をかけ、死へ向かう行列を止め、方向を変えてしまわれた。もはや死へ向かう行列ではなく、新しい命へ向かう行列へと方向転換させられた。イエスは死んだ若者に語りかける。「若者よ、あなたに言う。起きなさい」。すると若者は起き上がって、ものを言い始めた。

◇私たちは、再びこれまでと何も変わっていないかのような日常へ戻っていく。そこには多くの不安と嘆きがあり、死と罪が支配するかのような現実がある。しかし、神は御子イエスを通して私たちのところにすでに来てくださった。命を愛される神は、御子を通して私たちを死から救い出し、永遠の命ヘと向かう行列に導き入れてくださった。

◇私たちが心に留めるべき第一の点は、私たちが永遠の命へ向かう神の民の一員とされている、という事実である。私たちは独りで歩んでいるのではない。目を上げると、共に天へ向かって行進する神の民、教会が見える。

◇心に留めるべき第二の点は、15節後半「イエスは息子をその母親にお返しになった」という事である。息子は息子でも、イエスが与え直してくださった新しい存在である。この意味で、すべてのものは私たちにとって新しいものとされている。私たちの命、家族、職場、学校。この世界のすべてのものを、新しく与え直されつつ、新しい視点(神の恵みと愛の御心)によって見直しながら、新しく関わり直すこと、それこそが神の民の使命である。

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