礼拝説教

2016/4/24 −復活節第5主日礼拝−

「わたしは復活であり、命である」

ヨハネによる福音書11:1~27
協力牧師 中野  実


◇ラザロの復活の物語には、大切な兄弟を死によって失い、悲しむ姉妹マルタと マリアに寄り添われるイエスの姿を見ることができる。イエスは自らが 復活で あり、命であることを示しつつ、彼女たちに対する深い同情と死に対する憤りを もって兄弟ラザロを死から奪い取り、復活させる。

◇イエスこそが復活である。イエスを信じる者は、すでにその復活にあずかって いる。イエスの復活を信じることは今ここでの歩みにおいて決定的に重 要な事 柄である。それを信じる者には、滅びへ向かう死すべき歩みから、滅びることの ない救いへの歩みへ、という転換がすでに実現しているからであ る。

◇私たちの先取りとして、ラザロはそのような新しい転換を経験した。ラザロの 復活はただの蘇生ではない。ラザロは再び肉体的には死ぬにちがいな い。しか し彼は滅びることがない。復活のイエスの命にあずかることによって、滅びへ向 かう歩みから、滅びることのない命への転換がラザロにおいて 実現した。

◇私たちはイエスの復活を信じる者として人生の旅路を歩まされている。それ故、 私たち自身においてもラザロと同様、新しい命への転換がすでに実現 している。 そう信じてよい。しかしその転換は目に見えるような、あるいは実感できるような 変化ではない。イエスの復活を信じる私たちに実現した新 しい転換は一体どの ようなものか?ラザロの復活という奇跡を成し遂げたイエスは、これから十字架 への道をまっしぐらに進む。さらにイエスの復活に あずかったラザロもまた命 をねらわれる。つまり復活であられるイエスが十字架への道を進まれるように、復 活に参与させられている私たちもまた自ら の十字架を背負ってイエスに従う新 しい存在に創りかえられている。死を突破して、滅びる事のない救いへと進んでい る私たちの歩み。それは十字架へ 向かうイエスとの共なる歩みであり、それゆえ に自らの十字架を負っていく歩みでもある。 

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