礼拝説教

2016/4/10 −復活節第3主日礼拝−

「夜明けの岸に立つイエス」

ヨハネによる福音書21:1〜1
牧師 大宮 溥


◇本日の主日聖書日課は、復活の主を中心とする弟子たちの「人間をとる漁師」の働きを描き、教会の生命と使命を教えている。

◇「ティべリアス湖」とはガリラヤ湖のことであるが、復活のキリストはユダヤ一国だけでなく、世界の救い主として宣べ伝えられるべきなので、ローマ皇帝の名にちなんだ名称で呼ばれている。

◇シモン・ペトロが「わたしは漁に行く」と言ったのは、イエスの死によって宣教の使命を断たれ召命以前の生活に帰ろうとしたのではなく、復活の主に出会って世界宣教へと乗り出そうとしたのである。しかし、自分たちだけでは無力であり、「その夜は何もとれなかった」。

◇彼らが意気消沈して帰ってきたとき、暗い夜が白みはじめ、そこに朝日のように主イエスが立っておられた。その御指示に従って漁をすると、153匹もの魚がとれた。153という数は、ギリシャ・ラテンの文献には世界にいる魚類の総数として載せられている。また、この数は一辺を17とする正三角形の数の総和であり、17は7プラス10で、いずれも聖なる数であるところから、ユダヤ人と異邦人とを含む、神の国の総人口を表すものと考えられる。「それほど多くとれたのに、網は破れていなかった」。教会は全世界から選び出された信徒を包み込んでいるが、一致して分裂することがない。教会は「一つの、聖なる、公同の、使徒的な教会」であることが示されているのである。

◇岸辺には炭火がおこしてあり、パンと魚が載せられていた。イエス・キリストによる聖餐(パン裂き)が執行され、それによって弟子たちは主イエスを認識し、主イエスと一体になった。ルカ福音書の「エマオへの旅人」も、夕食の席で聖餐にあずかり、目を開かれて主イエスを認めた。それ以来教会は、説教と聖礼典を通じて生けるキリストに養われ、キリストと一体になり、キリストと共に世界の宣教に乗り出してゆくのである。

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