礼拝説教

2016/1/24 −降誕説第5主日−

「真理を教えるイエス」

ヨハネによる福音書 8:21〜36
牧師 大宮 溥


◇イエス・キリストは神の国の福音をもって宣教を開始された。「神の国」とは 「神の支配」である。イエスはサタンが天から落ちるのを見、神の国の 先陣と して活動を始められた。今日の個所で「わたしは去って行く」と言われているの は、主が地上において十字架の死を遂げて人々の罪を贖い、彼ら を神と結び合 わせるために、天に帰ることである。神の国に入るには主を信じることが必要で あり、信仰が求められている。

◇「『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のう ちに死ぬことになる」(24節)。「わたしはある」とは、旧約以来の 神の名(出エジ プト記3:14)で、ヨハネ福音書ではイエス・キリストがまことの神の啓示者であ ることを示している。

◇そこで「わたしの言葉にとどまるならば…あなたたちは真理を知り、真理はあな たたちを自由にする」(31〜32節)。「真理」とは、理論的な誤 りがないという だけでなく、真実をもって愛し、命を与えるものである。ホセアはこの「真実の 愛」を「憐れみ(へセド)」と呼んだ。これは愛する対 象をも愛し返さずには おれないものとするような透徹した愛である。十字架の主の愛はそれである。

◇このような「真理」が人間を「自由」にする。アウグスティヌスは人間の歴史を 「神の国」と「悪魔の国」の対立抗争として描いた。「神の国」は神 への愛と 隣人愛に動かされる人間の集団であり、「悪魔の国」は神に背を向けた自己愛エ ゴイズムの集団である。人間はアダムの堕落以来、自己愛のま まに生き、罪の 奴隷、サタンの奴隷として生きている。主は十字架についてわれわれを縛り付け ている罪の鎖を砕き、自由にしてくださった。19世紀 の南ドイツの牧師ブルー ムハルトは、教会員の精神的錯乱にサタンの跋扈を見・Aイエスの名を呼んで、 「勝利者イエス」の力に触れた。われわれも今 日、主によって自由とされ、信 仰・希望・愛の道を踏み出そう。
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