礼拝説教


2015/12/6 -待降節第2主日- 

「義の太陽が昇る」 

マラキ書3:19~24
牧師 大宮  溥



◇預言者マラキは、ユダヤ人たちがバビロン捕囚より帰国して第2神殿を建設したころ、紀元前6世紀中ごろの人である。人々は希望に燃えて祖国に帰り、町を築き直し、再建に取り組んだのであるが、支配権を持つ異民族の妨害、天候不順やいなごの害などで復旧は困難であり、彼らは次第に希望を失い、生活が荒れてきた。 

◇マラキはこのような信仰の熱意を失った民を神の法廷に呼び出し、神の告発を聞かせた。神の愛が理解できない民に、神は祖国再建の機会を与えた歴史の恵みを教えた。また民が神の導きを忘れ、神との契約を破り、兄弟を裏切っている状況を告発した。そして、神の審判の日が近いことを告げた(3:1~2)。 

◇マラキは最後の審判者としての神を「義の太陽」(3:20)と呼んだ。キリスト教会はこれがイエス・キリストであると理解し、ここからかつてローマで「太陽の勝利の日」として祝った12月25日を降誕日としたのである。 

◇降誕節を迎えると、われわれは義の太陽であるキリストが、2000年前すでにこの世に来て、神と人とを和解させ、神の国の基礎を築かれたことを確認する。しかし第2に、神の国の完成はまだであり、われわれは出エジプトの救いを受けつつも約束の地目指して旅をつづけたイスラエルのように、再臨の日まで宣教と奉仕と交わりの旅を続ける。そして第3に、この神の国への巡礼の旅で、われわれは毎年改めて「義の太陽」であるキリストが、われわれを今照らしていることを確認し、導かれて旅を新たにする。 

◇冬になると日差しが弱まり、肌寒い。しかしそのような淡い日の光でも、それをレンズで焦点に集めると、まぶしく輝き、物を燃やす。イエス・キリストは、宇宙に満ちる神の愛を一人の人間という一点に集めて、この世に来られた。それ故、われわれがこのイエス・キリストに出会う時、神の愛を集中的に受けて暖められ、燃えるのである。これに対して、われわれも信仰の焦点を合わせて主に従いたい。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com