礼拝説教

2015/11/29 -待降節第1主日- 

「目を覚まして待つ」 

マルコによる福音書13:32~37
牧師 堀川  樹


◇アドベントは救い主がお生まれになったクリスマスを待つと共に、天に昇られた主イエスが再び来られることを待つ時である。 


◇今日の聖書箇所は主イエスが再び来られる時までの信仰者の歩みを教えてい る。私たちはこの世の終わりがいつ来るのかわからない。それは子である 主イエスも知らされておらず、父なる神だけがご存じである。私たちには知らされていなくても父なる神が知っているから安心できる。それは主の祈りで「天にまします我らの父よ」と呼びかけるように、私たちは父なる神の子とされており、 祈ることがゆるされている存在だからである。父なる神は子なる私たちを放っておかれる方ではなく、最後まで愛し抜いてくださる方。私たちは人生の要所でそのことを経験して生かされている者である。 


◇そんな私たちに「気をつけて、目を覚ましていなさい」(33節)と勧められる。 それは弱さを抱え、目を覚ましていることのできない現実があるからに他ならない。この箇所の後、ゲツセマネの園で主イエスは一人祈られる。弟子達は「目 を覚ましていなさい」と言われたにも関わらず眠りこけてしまった。一人祈られる主の姿を通して、祈られている私を発見する。 


◇34節以下の短いたとえに出てくる主人は主イエス、僕と門番は私たちと理解することができる。ここで主人は僕達に仕事を割り当てて旅に出る。弱 い私たちを信頼して自分が旅に出る間も仕事を任せてくださるのである。私たちは主イエスの十字架の血潮によって神のものとされた。贖い取られた存在である。だからこそ信仰的に居眠りをすることなくただ主のために、与えられた道をしっかりと見つめて歩みたい。 


◇主人は再び戻ってこられる。その希望の約束を信じ、その時まで礼拝者として生きることこそが求められている。足元がふらふらしている私たちを子として 信頼してくださっている。だからこそ歩みが整えられるように父なる神を祈り、 目を覚まして待つ日々を過ごそう。 


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