礼拝説教


2015/11/15 −降誕前第6主日−

「大いなる脱出のために」

出エジプト記1:22〜2:10
副牧師 加藤 真衣子


◇ヨセフの時代にエジプトに移住したイスラエルの人々は数を増していった。それは創世記で神が人間を祝福し「産めよ、増えよ、地に満ちよ」とおっしゃった言葉の実現だった。エジプトのファラオは神の創造のわざに逆らおうとしたのだ。ファラオはイスラエルに重労働を課して虐待し、殺戮命令を下した。まずは助産婦に命令を下したが、彼女たちは神を畏れていたので命令に従わなかった。計画が失敗に終わったファラオは、全国民に大虐殺の命令を下した。

◇そのころ生まれた男の子が、モーセだった。
モーセはイスラエルの人たちをエジプトから連れ出し、乳と蜜の流れる約束の地へ連れて行く働きを神から与えられる。しかし彼は奴隷の民ヘブライ人の一人でありながら、同胞が味わっている苦しみや屈辱を体験していない。同胞の苦しみを共有し、同じ思いを分かち合うことができない。人の目から見たら条件も環境も整っていない、そういう者を神はお選びになる。

◇また1〜2章には5人の女性が登場する。助産婦たち、ファラオの王女、モーセの姉と母。イスラエルの解放は、モーセに先立って、この女性たちの知恵と勇気ある行動から始まった。女性は当時、数にも数えられない程、弱い立場だったが、彼女らは「無力」ではなかった。神は人の目には力を持たない人を通して、大いなる救いをなされる。これはやがてイエス・キリストという赤ちゃんを通しての救いへと通じる。貧しくお生まれになり、十字架の上で死なれた主イエスを通して、私たちはイスラエルの民が体験したのよりも、さらに大いなる脱出の恵みを与えられる。

◇私たちは様々な思い、悪意や、妬みや、自己中心に支配されている。それらは神の下で生きようとしない罪から生じている。罪の支配から解放し、脱出させてくださるのがキリストなのだ。私たちのために低きに降りたもう主によって、神は私たちと共にいてくださる。私たちの困難の只中に、主は来られる。

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