礼拝説教


2015/10/25 −在天会員記念礼拝−

「キリストの日に備えて」

フィリピの信徒への手紙1:1〜11
牧師大宮溥


◇キリスト教会では、地上の生活を送っている信徒の群れを「戦闘の教会」、天に凱旋した群れを「勝利の教会」と呼び、この二つが一つになって「聖徒である群れ」をなすと考える。今日は特に「生ける者と死せる者の神」の前で聖徒全体が一つの礼拝を捧げている。

◇「聖徒(1節)」の「聖」は元来「区別する」、「神のために取り分ける」という意味である。それはその人たちの人間としての素質の故ではなく、神が恵みをもって選んでくださったからである。「キリスト・イエスに結ばれて」inChrist、キリストがわたしを結んで掴み、その愛と力の中に入れてくださったからである。

◇パウロはフィリピの信徒たちが「最初の日から今日まで福音にあずかっている」ことを感謝している。「福音に生きる者たちの交わり(コイノーニア)」とあるように、聖徒は個々に孤立して生きるのではなく、交わり連帯して「神の国」を築いてゆくのである。教会を形成して、宣教と奉仕と交わりを築いてゆくのである。

◇パウロはフィリピの聖徒たちが「知る力と見抜く力とを身に着けて…重要なことを見分けるように(9〜10節)」祈っている。霊性の深みへの感知力である。現代人は長さと広がりの次元では飛躍したが、「深みの次元」を喪失して、薄っぺらになっている。この深みに達するには、信仰と愛の目を開き、「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解(エフェソ3:18)」することが必要である。

◇この祈りは聖徒たちが「キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者(10節)」となることへと向けられる。キリスト・イエスが再臨して、人類がその前に呼び集められる日への祈りである。われわれがこの世の旅を終えて神の前に立つ日でもある。K牧師が癌の告知を受けたとき、「キリスト・イエスの日に向かって」という手紙を書いた。「明日」がなくなると「今日」もなくなる。しかし「キリスト・イエスの日」を持つとき、「今日」が生きる。

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