礼拝説教


2015/10/11 −神学校日礼拝− 

「主のために生き、主のために死ぬ-幸いへの招き-」  

ローマの信徒への手紙14:1~9
須田 拓先生(東神大常勤講師)

◇私たちは人生に意味や目的を求めます。その私たちに聖書は、主のために生き る人生があると語りかけます。パウロがまず語るのは肉を食べるかどう かとい う問題です。教会の歩みや信仰生活にはどちらでもあり得ることがあり、この問 題もその一つでした。

 ◇パウロは、神がこのような人をも受け入れられたことこそが重大だと言います。 私たちが今、神の子とされているのは、ただキリストを信じた故で す。そして、 そこにはキリストの命がかけられています。それなら私たちは何をするにも、主 のためにしているかが重要であり、人生全体が主のための ものであるべきなの です。それは幸いな生き方です。主は決して変わることも裏切ることもないお方 であり、全てを注ぎ出してしまって間違いのない道 だからです。

 ◇パウロは、あなたの人生をそのように変えなさいと言うのではなく、わたした ちの中には、だれ一人自分のために生きる人はないと断言します。あな たの人 生は既に自分自身のためではなく、主のためという決して崩れない意味を持った ものになっているのです。 ◇事実私たちは、何をしている時にも、既に主が働いて主のものとされた私とし て、その事実を背負いつつ、行なっています。従って、人は知らず知ら ずのう ちに、私たちの中に、神のお姿とその力強い御業を見ています。そこにこそあな たの人生の究極的な意味があるのです。 

◇決して崩れない意味ある人生とされているからこそ、福音を伝えるために様々な ことができ、それができなくなっても祈ることができます。それどこ ろか、生き ているだけで、主のものとしてあなたを生かしておられる神の御業を証ししてお り、またキリスト者として死を迎えること自体も証しとなる のです。キリスト 者の生涯は、どこまでも意味ある生涯です。その幸いな生へと皆が招かれている のです。 


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