礼拝説教


2015/10/4 −世界聖餐日・世界宣教の日礼拝−

「教会の生命と使命」 

ルカによる福音書17:1〜10
牧師 大宮  溥

 
◇世界聖餐日は第二次世界戦争前、国際関係が緊迫し戦争の危機が迫る中で、北米の教会協議会が、教会はキリストの下に一つであることを自覚し、世界の平和と一致に向かって祈りを深めようと呼びかけて始められたもので、戦後日本基督教団も加わった。

◇この日に与えられた、主日聖書日課は「イエスの弟子の道」を示している。ル カ福音書の特徴は救済史における「教会の時」を強調しているところに ある。イエス・キリストの十字架と復活によって救いの基礎がすでに据えられたが完成 はまだという時期を、教会がどう生きるかを示している。

◇主イエスは、神の国は子供のようにひたむきに信頼に生きる者の国であるので、律法学者のように困難な条件を掲げてそれを妨げる者を、「つまず き」を与 える者として、厳しく戒められた。ところが「教会の時」になると、最後の審判 が遠く感じられ、罪を犯しても悔い改めることなしに過ごす傾 向が生じた。これに対して教会は戒めて、懺悔を促さなければならない。それと共に悔い改める者には、何度でも赦す「赦しの共同体」である。

◇赦しのためには、深い愛、ひいては深い信仰が必要である。そこで「わたしどもの信仰を増してください」との求めが発せられる。これに対して主イエスは、からし種ほどの微小の信仰も、巨大な桑の木を抜いて海に植えるほどの力を 持つと教えられた。信仰が人間の心の働きではなく、神の力が人間 の内に宿るものであり、ひとたび宿れば巨大な力を発揮するのである。

◇「教会の時」は、再臨が遠いので、キリスト者は生涯の最後まで奉仕の道を歩むことになる。キリスト者は神の恵みを注がれて、それに応える奉仕の道を歩むので、 一時のものでも、報酬を期待してなされる奉仕でもない。だから「自分に命じられ たことをみな果たしたら、『わたしはとるに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい」と勧められる。
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