礼拝説教


2015/3/29 −棕櫚の主日礼拝−

「石が叫び出す」 

ルカによる福音書19:28〜40
主任牧師  大村 栄

 
◇今日棕梠の主日に、ろばにまたがって来られた主イエスを囲んで、「37:弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた」。しかしこれを苦々しい思いで見ている人々がいた。「39:ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、『先生、お弟子たちを叱ってください』と言った」。彼らがそう言ったのは、自分たちが拒絶する主イエスを熱烈歓迎する人々への不快感からだろう。

◇これに対して主イエスは言われる、「40:言っておくが、もしこの人たちが黙れば石が叫びだす」。主は彼らを黙らせる積もりはない。もっと喜び叫んでほしいとさえ望んでおられる。

◇「石」は無名な小さな存在を象徴する。バプテスマのヨハネはユダヤ人の選民意識を批判してこう叫んだ。「言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」(ルカ3:8)。

◇私たちも石ころだ。しかしどんな小さな石ころでも、神によって大いなる業に用いて頂ける。少なくとも、神への賛美の叫びをあげることが出来る。石ころにも出来るその神への奉仕を、主イエスは何よりも喜ばれる。

◇この一年の教会標語は「賜物を生かして互いに仕えなさい」だった。神から託された賜物とは、それを生かし用いて、神を賛美するためのものである。私たちは主の御名を讃えて叫ぶ石でありたい。「いずるいきによび/入りきたるいきによびたてまつる/われはみなをよぶばかりのものにてあり」(八木重吉)。父なる神の御名を呼ぶばかりの、それだけの者であっても、神はきっと喜んで下さる。

◇すぐる一年間に52回の主日礼拝が行われた。来週からまた新しい礼拝の旅が始まる。この礼拝において、また信仰生活全体を通して、私たちは石が叫ぶがごとく、主の御名を呼び求め、神を賛美し続けたい。それを主に喜ばれる最良の捧げものとしたいものだ。

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