礼拝説教


2015/3/8 −受難節第3主日礼拝−

「イエスに従う者」 

ルカによる福音書9:18〜27
船本 弘毅 先生

 
◇「わたしを何者だと言うのか」というイエスの問いを、共観福音書はいずれも記しています。イエスの公生涯の前半と後半を分ける出来事がフィリポ・カイサリアの地で行われ、イエスとペトロの間で厳しい対話があったことを、マタイとマルコが伝えているのに対し、ルカはただ「イエスがひとりで祈っておられたとき」(18節)にこの問いが発せられたと記しています。

◇「祈っておられるイエスの姿」を他のどの福音書よりも克明に描写しているルカ福音書は、エルサレムに向かう時を迎えたイエスが深い祈りのうちに弟子達の信仰を問われたと記しているのです。

◇「群衆は」と先ず問いかけられた主は、その答えには触れることなく、弟子たちに向き直って「それでは、あなたがたは」と問われました。息詰まるような問いです。

◇ブーバーは「問いと答え」という一文を草し、神を信じているということは、三人称で語りうることではなく、二人称で語られねばならないと述べています。我と汝の関係で神の前に立つのが信仰の世界なのです。

◇ペトロの「あなたはメシア(救い主)です」という告白を受けた後に、イエスは自らの受難、十字架、復活について語り始められました。メシアは栄光の主ではなく、十字架の主でした。そして弟子たちに「自分を捨て日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(23節)と命じられました。

◇高校生の時、当時関西学院高等部長であった河辺満甕先生から、国際学生キャンプに参加された時、緊迫した戦時下のドイツから来た学生が「キリスト者はキリストなしに生きられない者だ」と言ったという話をお聞きしたことがあります。それ以後この言葉はさまざまな時に、私を支え押し出す力になってきました。

◇今、私たちは大事な、そして危機を感じる大切な時を生きています。「あなたはわたしを誰と言うのか」という問いの前に立ちつつ、キリストなしには生きられない者として、イエスに従う者でありたいと心から願います。

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